「結婚したんだ」
今放たれたその一言が内包するものを、理解できる日がやって来るのだろうか。
精巧なホログラムの彼女の隣でニコニコと笑う友人を前に、僕は夏の訪れを感じていた。
愛だの恋だの、駆け引きだの蛙化現象だの、サイゼでデートはあり得ないだの、そんなものに辟易としていた。そういう人はゲッコウガを使うな、二度とまちがいさがしをするなと言いたい。
とにかく、ジャッジの目がどんどん厳しくなる世の恋愛市場から降りてしまうことにして、僕は生きやすさを手にしたはずだった。それはあいつだって同じだと思っていた。
あいつは、人生で唯一できた彼女を引きずっていた。昔の拷問?というくらい引きずりまわしていた。
あっさりと振られた夜も、大量生産されたそれだと思っていた。安いアルコールを流し込み、深夜料金でもう恋なんてしないと叫んで、あとは時間におまかせ。
それで終わりだと思っていたのは僕だけで、あいつの人生ではあの夜は唯一無二で、かけがえのない永遠で、最後で半音上がるタイプのサビで、絵画となり得る可惜夜であったらしい。
彼女の性格をトレースし、それでいて否定的なことは絶対に言わないAIが搭載された、彼女と同じ顔のアンドロイド。ここまで精巧だと本物との差異なんて魂とかそういった不確定なものでしかないんじゃないかと思わされる完成度だった。
とんでもない金額だった。”それ”にローンを組んで生活を始めたと聞いたとき、どんな顔をしていたか覚えていない。それがアリなら恋愛に終わりは存在しなくなったな、とふと考えたことだけ覚えている。
ありふれたものを特別だと思い込むこと。大衆向けの優しさに対して自分に気があるからではないか、などと勝手な夢を見て現実との乖離に落ち込むような日々が続くこと。それが僕にとっての恋愛だった。舞い上がった分だけ反動で傷つくような、そんな経験しかないためか、少々後ろ向きな定義であることは否めない。
あいつが大金をはたいた彼女は完璧だった。
完璧な彼女にあいつは溺れていった。
欲しい言葉を欲しい数だけ、欲しいタイミングでくれる。自己肯定感の低い現代の人には、肯定的な言葉しかいらないのだろう。曲の前奏すら飛ばしてしまう現代の人には、既読がつかない時間さえ許せないのだろう。繰り出される迅速な愛の言葉のほかを受取拒否したあいつにもう、僕の言葉は届かない。
そんなやり取りに何の意味があるのか。心の通った、だからこそ時に深く傷つくような、魂のこもった対話だけが真実なんじゃないか。
僕はそうやって自分にブレーキをかけ続けていた。そうしない理由で、自分を繋ぎ止めておきたかった。だけど、もう戻れなかった。摩耗した心は、もう元には戻らない。これだけ打ちのめされたのならもう、いいじゃないか。一度そう思ってしまったら止まらなかった。
今、僕の目の前にいるのは、魂のないあいつだ。僕の部屋で、僕のためだけに生きるあいつを丸ごと、無傷で手に入れた。このあいつはくだらないアンドロイドなんかに入れ込んでおらず、対話をしてくれる。
なぁ、こっちの方が正しいじゃないか。

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